船本由佳のブログです。
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2011年12月17日

かもめの玉子のたまご

大船渡の銘菓、かもめの玉子
丸いあの形にするには、技術と歴史があります。
かもめの玉子の本社ビルも津波で全部流されました。
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専務の斎藤さんは、先代の父親から、チリ地震のときのこと、その前の津波のことを聞かされて育ったため、地震直後に津波を予感し、すかさずiPhoneで撮影をしながら社員に逃げるよう伝えて回りました。
そのときに用水路から魚が異常に跳ね回っている様子が映像に写っています。
父親からの警告に従って避難した結果、斎藤さんたちは無事に高台に逃げのびます。
さらに、そこからビデオカメラを構えて撮影に入るのですが、ノーカットで、撮影された映像の迫力がすごい。
津波が押し寄せて、町の建物を押し流して行くまででおよそ8分。
はじまるとあっという間だったことがわかります。

たまごの斎藤さんは、卵ができるまでのビデオと、津波のビデオと、両方見せてくれました。
あの丸い姿をみるたびに思い出せる、津波のこと。



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2011年11月28日

生徒たちの夢を守りたい

大船渡に移転し再開した高田高校の生徒会の皆さんと、話すことができました。
土曜日にもかかわらず、彼らは再開した高校で今の自分たちがどう活動しているか、パワーポイントを使ってプレゼンしてくれました。

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この資料は私たちの訪問のために、作ってくれたそうです。
この現状を伝えたいという純粋な彼らに、答えなければならない。身の引き締まる思いがします。
陸前高田から、大船渡の校舎に、みんなスクールバスで通っています。一番遠い生徒で一時間三十分くらいかかるそうです。
大学進学を目指し、法律を学びたい、医療を学びたい、 公務員になりたい、看護師になりたいと夢も様々です。
なかには、工学部をめざしていたが、今回小学校でボランティアをしたところ、幼稚園とか、子どもの施設に行きたいと、目覚めた男子生徒もいました。
自分の進む道で震災に関わりたいという生徒が多いようでしたが、震災に関係ないけど、ツアーコンダクターになりたいと話してくれた生徒もいて、この子達のこうした普通の夢を守ってあげたいと、おもいました。

顧問の先生の話もとても興味深かった。
生徒をどうやって避難誘導したか、どう夜を明かしたか、どう食料を調達したか、地域の住民も受け入れながら、職員が独自の救援活動を行って何日もしのいだそうです。

いまは学校は再開していますが、制服はどうするのか、スクールバスはどうするのか、乗り越えて再開したものの、足りない備品は多いそうです。
足りないというと、届くのに時差があったりして、物資はだぶつき、貴重な会議スペースを奪ってしまうこともあるそうです。必要なものは刻一刻とかわるんですね。
顧問の元木先生は、「みなさんの口で風化しないように、広めて欲しい」て、話してくれました。

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2011年11月27日

東北に親戚をつくるという支援

気仙大工左官伝承館です。
ここに地元の方に集まってもらいワークショップを行いました。
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築20年、95%気仙杉を使っています。気仙大工左官の優れた建築技法を伝えるために作られました。
組んで作っているので地震には強かったそうです。
震災時は、ここも避難所になったそうです。
標高が高いため気温は低いみたいです。

ここで地元の人にも加わってもらい、支援活動として、現時点で提供されていないが必要とされているもの、されそうなものは何か、についてワークショップ形式で話し合いました。

わたしの班には高田高校の三年生や津波で実家とご両親をながされた女性などに加わってもらいました。

・直後より今のほうが喪失感を感じるという方が多いそうです。震災から半年たってようやく悲しみを感じる心境に達することができたということだとおもいます。
学校でも、精神的に参ってしまう生徒が増えてきたそうです。
先生や周りの大人も被災しているということから遠慮して大人にはなかなか弱さが見せられないという事情もあるみたいです。
友だちの間で支え合っているそうですが、何か、外部から手を差し伸べるやり方がありそうな気がします。

「何が足りないか要望を言って欲しい」と、いう意見がでましたが、直後と違って、店に買いにいけばなんでも揃うし、支援物資で物自体は充実しているそうです。
それに、なかなか「欲しい」と声をあげるのは難しいものです。
このことから、対団体の支援ではなく、個人対個人の支援が今後は求められるんじゃないかと感じました。
・交通手段が不足しているというのは、共通の認識のようです。
避難所では、顔と顔と向き合わせる付き合いでしたが、仮設に入居してからは、仮設同士が自動車移動が必要なほど離れていて、会いたくても、気になっても、気軽には会いにいけないそうです。
仮設になると、つい引きこもりがちになってしまうので、外部からのボランティアが開催するイベント(焼き芋でもカフェでも)が外にでて新しいつながりを作るのには有効みたいです。
でも、これから寒くなるので、たとえ家の前で開催していたとしても、外出したがらない高齢者も増えるだろうという話もでました。

関東にいる私たちが何ができるのか、外縁部にいるからこそ、できることがありそうです。
それは、長期に渡り気づきの目を持つということと、要望を汲み取る目を育てるということかなと感じました。

もし今後、被災地に何か支援をしたいと考えるならば、顔の見える関係性を作るということがいいのではないかと感じました。
時々やってくるおせっかいな遠くの親戚みたいな関係性を保つのがいいんじゃないかと。
神奈川県が、ホームステイ家族を募集したように、ある程度公の機関が間にたって、支援家族を募集して、マッチングするというのはどうだろうか。
どうかなぁ


posted by ちびこ at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月26日

奇跡の一本松

奇跡の一本松と言われる松です。

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元気なように見えますが生体反応がないことが、確認されました。
ご存知のようにここは高田の松原と呼ばれる松の防波林がありました。350年前に先人が植えたものだそうです。
東西2キロに渡る砂浜に数万本の松が生える景色は国の名勝に指定されていました。

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50年前のチリ地震津波のときには津波に耐えた松原でしたが、今回は、最初の地震で松林が液状化し、水があちこちから吹き上げているところに津波が来たため、地元の佐々木松男さんいわく、「一回目の津波でほとんどが倒れた」そうです。
根こそぎ倒れたもの以外は、途中から折れていて、まるで松のお墓みたいに感じたそうです。
最後に残った一本松は、復興のシンボルのようにいわれています。
松のあるあたりは海に浸食されていて、近づくのが命がけだった時期も長かったそうです。
いまは根の周りを鉄板で囲ってあります。
そばに落ちずに耐えた橋があり。橋が引き潮から一本松を守ってくれたんではないかとされているそうです。
松を蘇らせるには、根に宿る菌の活性化が不可欠です。菌は塩分に弱いため、佐々木さんは毎日塩抜きをして根の真水化に取り組んでいました。8月には新しいホギがでて喜んだのですが、地中から塩分がどうしてもでてきてしまい。10月末に、生体反応がないことが、わかりました。
いまは葉が茂っているように見えます。が、もう蘇らないそうです。
移転も難しいそうです。

接ぎ木による苗作りと松ぼっくりからの種の採取にとりくんでいるそうです



posted by ちびこ at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

陸前高田を歩く

市民体育館から市役所まで歩くことに
市民体育館は、避難所に指定されていたので、みんなが逃げて来たんだけど、津波に襲われてたくさんの人が命を落としました。


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ガイドはaidTAKATAの菅野さんと佐藤さん。
菅野さんは、市街地に住んでいたため、計画が決まらない限り自分の土地での復興はストップ
いまは仮設住宅に住んでいるそうです。

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街は、鉄筋コンクリートの建物の骨組みだけを残して、片付けられている
かつて街だったものは寄せられて積まれています。
市役所は、青いタイルの装飾が印象的な建物です。
市役所の職員は地震のときに誘導にでていき、三割のかたが亡くなったそうです。
市役所に残った人も、避難してきた市民と一緒に役場の建物のなかで避難したそうなんですが、最終的には水は三階だての三階まで達し、屋上に避難したそうです。
逃げきれなかったのか、建物の中から遺体が多数見つかったそうです。

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いまの陸前高田市役所は、プレハブで移転していまそばを通るとソーラーパネルが見えました

posted by ちびこ at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旧高田高校

最初の目的地は高田高校。旧高田高校というべきかもしれない。高田高校の実体は、すでに大船渡の元農業高校校舎に移転しています。
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このあたりは市役所や市民ホールなどもある市街地でした。
海につながっている平地です。どこも無事だった建物がありません。
街の再整備の対象になっている地域なので、瓦礫の片付いた今は、街の人はいません。
人がいない大きな空間です。

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学校の中はドロや漂流物がそのままになっていました。
青空が目にしみます。
3月11日は、午前授業だったため、部活動のある生徒だけが学校に残っていて、校長判断で高台に避難したそうです。
帰宅した生徒もいて、14にんが亡くなりました。いまも教職員1人と生徒四人が行方不明です。

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教室の中です。
ここは背中が山なので、津波にやられた街がここにおしよせて止まりました。
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体育館の中です。なかは手つかずのまま。車が流れついていました。
高い天井には漂流物が絡みついていました。この高さまで水が来たんですね。
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色紙





posted by ちびこ at 20:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レモン牛乳と飲むとちおとめヨーグルト

陸前高田行きのバスのなかです。
佐野サービスエリアの星空はきれいです
バスが消灯したので続きはまたあした
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posted by ちびこ at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月25日

「伝えること」「忘れないこと」

あした仕事が終われば、0泊3日で陸前高田に行ってきます。

かながわ東日本大震災ボランティアステーションの企画で、陸前高田支援のボランティアバスに乗っていきます。

今回の目的は今後の支援の参考にするためのヒアリングです。

現地にいくと作業に追われて、なかなか現地の人に話を聞くということができませんでしたが、今回は、復興作業に焦点を置くのではなく、ヒアリングしようということで出かけていきます。

震災から半年後の現状と復興の進捗状況を自分の目で確認し、被災された方の声を聞くことで「いま」を正しく理解して、自分自身の活動を「いま」に沿ったものにするというのが目的です。

さらに、地域の人との交流を深めることで、いままでの対団体(避難所という共同体など)の支援ではなく、対個人に、なにをしたら支援となるのか、継続支援をするために、どうしていったらいいのかを考えるんです。

正直、いま、関東にいるままでは、何を考えたらいいのか、想像の範囲を超えません

だから行ってこようと思います。

県立高校や市役所、高田の松原、気仙大工左官伝承館、かもめの玉子(銘菓)の工場、黒崎仙郷温泉などがルートです。
途中、ワークショップやレポートの作成などもある予定です。

今の私に何ができるのか、震災直後のほうが確固たるものがあった気がします。
今の自分に何ができるのか、わかるために、いってきます。
posted by ちびこ at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月23日

5/3のバスの中にて。

5月3日のメモです
このとき、わたしは自分が思い上がっているんじゃないだろうかとばかり、考えては思い直し、何が正しいのかわからなくてとりあえず行動していました。
いまはそれでよかったと、振り返られるけど、そのときは、自分の中の正義がぐらついて、とてもしんどかった
下はその時の記録メモです
書いたのは当時なんだけどそのときは、こんなことをblogに書くこと自体不謹慎なんじゃないかと、思い悩んでいたんでした
+++++++


仙台のHさん宅から地下鉄で仙台駅へ

目的地は南側にくだり、岩沼を経て亘理(わたり)。ここからJRの代行バスに乗って新地に行きます
相馬行きのバスです
バスには20人くらい乗っています


連休中のボランティアは多いという報道が多いし、自分に何ができるかはわからないけど、必要かどうか、確かめるために行ってみます

おもえば、阪神大震災の時にはまだボランティアという概念が定着していなくて、どうすることが真のボランティアであり、何が役に立つということなのか、迷いに迷った時期だったと思う。
でも、あのとき、ボランティアが組織を作れば大きな力を生むということが証明され、復興に欠かせないものだとわかったんだ
それ以来、ボランティアセンターというものをつくって、ボランティアの采配をするというスタイルが出来上がった
今回もきっと迷いながらも拠点を作って采配している人がいるだろうとおもう。


ボランティアはニーズがあってこそなりたつと思うし、きょう、私がなにかの役に立てるかどうかはわからないけれど、声をかけられる場所まで近寄っていこう


+++++
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写真は、仙台駅に設けられたボランティアステーションの様子。
たすけあいジャパンという団体が立ち上げたボランティアのための情報ステーションです。
大型連休で全国からやってくるだろうボランティアたちの情報面でのサポートをしようと設置されたものです。
仙台駅に設けられたもので、各地の被災地にボランティアを円滑に送り込むための活動です。
このみなさんも、一般の社会人の皆さんが考えた団体なんですよ。
正確には、考えるのは社会人が仕事が終わった夜に考えて、実動部隊は、昼間動ける学生、という感じの動き方をしていました。

このステーションには、現地までの交通手段・地図・現地ボランティアステーションの場所・そこでの主なニーズなどがまとめられていました。
交通手段が復活していないため、その時点での具体的なアクセス方法、所要時間、ネットで伝えきれない細かい事情などもわかるようになっています。
たとえば、、、運営側がまだ小規模で電話の問い合わせには答えられないステーションもある。仕事はたくさんないけど、ひとまず来てみて、現地で消費してほしいという要望などもある。

センターの前には、今日来たという女性が「気仙沼まで行く」と行っていた。
時刻は朝の8時だったけど、寝袋持参のボランティア猛者たちが、駅周辺をうろうろしていた。
女性の言っていた「気仙沼」のボランティアセンターは「はまセン」といって、現地までの公共交通手段がまだなく、これから行っても今晩到着するだろうという状態だった。
けれど、そんな場所ほど、人手が足りなく、目が届ききらなくて困っている人が多いのだ。
大型連休でボランティアの殺到を感じて自粛する人たちもいたかもしれないけど、そのときの情報の叫び声を拾うと「まだ100人は受け付けられます」「たくさん仕事あります」と悲痛なもの。
とにかく、長期戦ができるボランティアが活躍する場は山ほどあった


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5/2 南三陸石巻


5月2日の時点でのメモです。

登米から仙台方向に南下する。

南三陸(海方面)に移動し石巻を通過した。

くねくねとしたのどかな山道、車窓に異様な影が映った。
DSC06610.JPG
船だった。

海から3キロの時点。

津波がここまでさかのぼってきたことを表す。
そこからは、右も左も、壊れたものが荒れ狂って置かれていた。
DSC06612.JPG途中、建築用と思われる木材が整然と置かれている。
海に近づくにつれ何もなくなっていく。
DSC06619.JPG防災庁舎だけが忽然と鉄骨むき出しの状態で立ちつくしていた。

DSC06626.JPG海に近づくにつれ海が迫ってきていた。
地盤が沈下しているのだ。
砂利が敷かれて、仮設の橋がつくられている。。
自衛隊の人たちの働きが目覚ましい

声も出せずに南三陸を通過。
少し山を上ると、惨状が感じられないのどかな山道がすぐに手に入る。

気を落ち着かせるために道の駅に入る。
もくもくランドと名前が付いている。
すごく海に近い感じがするから、少し違和感だったけど、もくもくのもくは、木(もく)のもくでした。
木工製品などが売られている、きれいな店舗。
なんだかここで金を落とさねばならないような義務感に駆られて平和なものをいくつか買う。
木でできたスプーンとか小皿とかそういうもの。

DSC06630.JPGDSC06633.JPG石巻の光景は、また南三陸とはちがう。
建築物がまったくなくなって、荒原となってしまっていた南三陸はたしかに光景だけみると強烈だった。が、石巻は商店街が残っている。天井まで水にしたっている。
そこには、人がいて片づけをしている。
言葉少なく。
生活品と人いる気配が生々しく、石巻はこれから何年かかるか分からない時の流れを感じて、とても重く思った。
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2011年06月12日

5/2登米

110502_135857.jpg13時20分 登米 こめどころ 北上川を利用した水上交通、伊達家。昔の水沢県庁があったところ

初日に水族館に行こうとしたように、文化行政にかかわる立場の人がいたことから、被災地の文化施設が開いていたら、応援の気持ちを込めて入場しようと、決めていた
被災地の近隣の皆さんの利用と観光客の激減で、文化施設はきっと入場者数が落ち込んでいることだろう

そこに見かけたのが石ノ森章太郎記念館
正面に「平常通り開館しています」の大きな看板が出ている
この時勢に、そしてこの立地(被災エリアの内陸)だと、閉館していると思い込まれていたり、文化にいれあげるなんて不謹慎という風潮もあるかもしれない
そういう悩みの先に設置された巨大看板に思えた
(残念ながらこの日は定休日で入館できなかった)
これを契機に閉鎖に向かう施設もあるかもしれない
そんな事態を防ぐため、脳天気といわれようと、近隣の皆さんにかわってこうした施設の利用を心掛けたいと思う

そんな意欲でこの次に見つけたのが登米の遠山の里の尋常小学校跡を利用した教育資料館
現地の飲食店を利用しようということで、隣接の食事土産所で食事
とにかく東北で消費したい気持ちになっている
110502_133753.jpgはからずもここはBグルメあぶらふ丼の町ではないか
B級グルメに詳しくて良かった…
あぶらふ丼600円
はっと、という汁物が500円でした
ごちそうさまでした
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2011年06月11日

5/2 最大震度のまち 栗原

5月2日に最大震度のまち栗原を訪れたときのメモです

6時15分 いわき出発 磐越自動車道
7時15分 郡山 東北自動車道
8時 仙台
道は比較的スムーズ
ラジオでは生活情報が絶え間無く流れている
暴風警報が出ている

9時40分 宮城県栗原着
岩手との県境の町であり、今回の地震で最大震度を記録した町である
しかし津波の被害が甚大なため、報道で目にする機会は少ないといえる

ここで仲原さんのご友人宅をお見舞い
住んでいた家は潰れてはいないが、余震で崩れる心配があるため、数軒先の家に避難している
古い家屋が立ち並ぶ町並み
年季の入った商店や眼鏡屋、医院などの看板が見える
目立つのは家屋状態の貼紙
赤が危険 黄色が要注意 緑が調査済み
震災があって間もなく栗原市が迅速に家屋の調査を行っているようだ
請書提出・調査・罹災証明の発行などという役場的手順をすっとばした迅速な対応だったらしい
110502_093321.jpgこのあたりは、57軒中、
調査済み 15軒 26% 
要注意 12軒 21% 
危険 30軒 53%
地元の人いわくブルーシート通り・赤紙通りとよんでいるそうだ
瓦屋根のお宅が多いが、最近の瓦屋根は落下を防ぐため瓦と屋根の固定が強く、そう簡単に揺れても落ちないようにできている
それが不幸を呼び、屋根の重みで躯体ごと崩れてしまっている家も。
揺れで瓦が落ちるような昔ながらの屋根だと、重い瓦を振り払い、家本体は残っている

110502_120814.jpg110502_120539.jpg

ご友人呉地さんの家は昔の商家で敷地の奥に蔵が三軒ある
いずれも立派な石で出来たナマコ壁の重厚な蔵なのだけど、ひび割れ歪みができている
市が、8月末までであれば資材の処理を無料で行うとしていることから、なるべくはやく蔵も家屋もすべて壊してしまうつもりだという
それ以降になると自費で行わなければならない
復興にかける費用をなるべく抑えたい市民感情から、古きよき蔵のある町並みは、先を争うように取り壊されることになりそうだ
他地域の津波被害が甚大すぎて、目立たなくなってしまっているけど、震災被害で通りの風景がすっかり変わってしまう町が内陸にある



110502_120738.jpg110502_094603.jpg110502_122341.jpg
この時期(5/2)被災地で写真を撮るのが心苦しく、なんだか花とか緑ばかりとっていた
勝手かもしれないけど、春が来たことに希望を見たかったし、喜びで心を癒したかった
破壊されているもの、被害が甚大な光景ほど、かつてそこにあった暮らしや日常を思い浮かべたいのに思い浮かべることすらできなくて、カメラを握るんだけど、撮影できない
今はものに見えるけど、これはかつてはだれかの大切なものなんだって、阪神大震災の時にも思い知っていた
瓦礫という言葉は使わない
瓦礫なんてないんだ、そこにあるのは、もともとは誰かの持ち物なんです
目の前にあるのは壊れかけた空き家に見えるけど、空き家じゃない。誰かの家なんです
自分が脳天気な馬鹿者に思えるし、やみくもに自分を無礼だと思った
でもここでこうやって伝えることを心に決めていたんだから、しっかり伝わる写真を撮るべきだった
あのときのことはあのときしか記録できないんだ

でもこのときはそんな心境にはなれなかった
posted by ちびこ at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5/1 いわきのメモ

船を海底からひきあげている

小名浜
工場地帯の塀が長く倒れている
道路が波打っている
信号機は消えている
車が壊れておいてある
旅館から電化製品が全部だされている
たくさんのテレビ。電子レンジ。
小名浜トンネルを境に津波被害の有無が分かれる
大量の水浸しになった家財道具が外にだされている

永崎地区
一階がすっかり空っぽになっている
中の作
船が転覆している
「こわしてください」「こわさないで」の貼紙が家屋に貼ってある
豊間地区すべて波で流されている
posted by ちびこ at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5/1 いわき小名浜

110501_141949.jpg110501_143843.jpg5月1日にいわきに行ったときの記録です

9時に上野発の電車に乗っていわきへ
乗り換えなしで到着
アーバンデサイナーの国吉さんと桂さん
みんなで仲原さんのいわきの家にお世話になる予定。
全員横浜市のまちづくりにかかわるみなさん。

いわき駅でハシケンさんと会って話しました
よそ者には想像が及ばない様々なものの考えがあるんだろう
子供のいる家庭は特にナーバスになる

小名浜のまちは人が少ない
ときおりピンクのジャンパーの団体を見かけるくらい
おそらくボランティアのみなさんで、道路の溝などを掃除している様子だった
アクアマリンふくしまという水族館の近くまで行ってみた。水族館には近づけない

小名浜から北上する
海沿いの道の駅は営業していないが人がたくさん集まっていた
炊き出しをしているのと音楽のイベントをしていたようだ
さらにこの日は花火をあげるという
なにか景気づけにやって無理矢理にでも元気をだしたいという思いが伝わって来る

110501_155150.jpgこいのぼりが泳ぐ視線の向こうに民家
一階は骨組みを残してすべて持って行かれている
家の中のものを片付けて集積している場所もある
アスファルトが剥がれ運ばれて折り重なっている
どういう力が働いたんだろう


この日の時点で公共交通機関はJR四倉まで。
そこから一駅原発に近い久之浜駅付近まで行ってみると、この日一番辛い光景が広がっていた
110501_160551.jpg津波で家が押し流され一面見渡せるほどになっている
通行する場所を道としてものを寄せているのでひとまず道と思われるところを歩いてみる
家のあとに水の入ったコップ

海岸沿いには船が折り重なるように大量に陸にあがっている

110501_161651.jpg久之浜駅を挟んで山側は被害が見た目少ないように見える
被害の差の境界線が、等高線に沿って明確化している

じわじわ福島のことをかんがえている

仲原さんのお宅はいわきで原発から30キロくらい
いつか畑をやってのんびりくらそうと準備していた家
実際に月に二回ほど横浜から来て作物を育てている

仲原さんの家で見たテレビはL字スーパーが二重に出ている
福島では普通の光景
計測された放射能の値がまちごとにテロップで発表される
仲原さんいわくいわきより原発から遠い郡山や福島の方が値が大きい日が多いそうだ
シーベルトの違いで、ほかに地域と比べて安心したり心配したりする日々を「異常だ」といって笑っていた


偶然横浜ゆかりの人で被害家屋の審査のためにいわき入りしている二人がいることがわかり、夜、仲原家で合流することになった
ホテル住いで毎日仕事にあたっているが、当たり前だけどあたりには夜やっている店もないし、息抜きのしにくい環境なんだ。
二人は家屋に全損・半損・一部損の判定を行う仕事でいわき入りしている

地面から1.9メートルのところまで海水が来ているかどうか、など、決められた基準をもとに判断して行くそうだけど、持ち主立ち合いとのことなので、心苦しい場面もあるだろう

「まだ住みたい」「壊したくない」「どうせ壊すのだから全壊と判定してほしい」とか、いろんな思惑があるとおもう
こういう判定は地元の人じゃなくて、地元外の人がある程度ドライに判断してくれたほうがのちの交遊関係に禍根を残さないのでいいと、聞きます
なんにせよハードな仕事
頑張ってほしい

ここで薪で焚いたお風呂、それにいわきのタケノコといわきの山菜をいただきました
posted by ちびこ at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

阪神の時のこと

110502_120738.jpgこんなことでクヨクヨしちゃいけないけど、震災発生すぐは、阪神の経験が伝わっていないことを思い知って、打ちのめされていた
伝える稼業に従事して13年。
「あの時のことを忘れるな」って広島でも関西でもテーマは違えど言い続けてきていて、言い続けることのできるこの仕事にやりがいを感じていた
でも、思ったほど、伝わってないんだって。思い知った。
そんなんホントに仕方ないねん
広島や京都の友人の中には何もいわずに私の落胆を感じ取ってくれた人がいる

世の中には<経験した人しかわからないこと>だらけだ



阪神の時はボランティア元年といって、ボランティアの力が町の復興に不可欠だということが、初めて認識された時でありました
その時関西の大学生だった私は、その激動の渦を感じていました
ボランティアに行くという認識はなく、無事だった人が大変な状況の人を手伝いに行くというとても自然な感覚でした
自衛隊の運んだ支援物資をただひたすら体育館で仕分けをしてて、支援の気持ちの空回りってあるんだなって気がついたり、いまおもうととんでもないことのようだけど軽音部サークルに所属していたため、被災地で歌ったこともあります
被災した人達の心境が日を追うごとに変わっていくということや、思い詰めたらボランティアは続かないこととか、いまはひょっとしたら常識かもしれないけど、わたしはそのとき日々の暮らしの中で知りました

わたしがいまの仕事をやりたいと思ったきっかけは震災のときに情報の大切さを感じたということからです

だから
おこがましいことかもしれないけど、私は、いまこそ自分が役に立つときだと、感じています。
ほんとは飛んでいって役に立ちたいくらい

<経験した人しかわからない>かもしれないけど、わかろうとしている人たちのわかりたいという思いは、努力と想像力でいろんなものを乗り越えていけると信じています

こんだけ大変で悲惨で貴重な体験をしたんだから、この経験を無駄にしたくない、この経験をどうか他の人の平和な暮らしのために生かして欲しい、そう、震災にあった神戸の人達も原爆にあった広島の人達も、みんな思ったし、いまだって思いつづけている
それは、尊い、人を思いやる気持ちから生まれる発想です

その気持ちを無駄にしたくない
伝えたいです
東北のことだってそうです
語り継ぐことのできる自分でいたい

みんなのおもいやりと想像力の原動力になるのは、こうやって伝えることだと思っています


(写真は最大震度の内陸のまち栗原で見たつくしです)
posted by ちびこ at 10:37| Comment(3) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月07日

5/1福島県いわき

110501_141803.jpgこれは被災地に入って撮った一枚目の写真です
場所はいわき
小名浜にある水族館を海方向に向かって撮ったものです

私は元々関西人です
被災地にはつてがありません
いまの時点では、つてがないと被災地で役に立たないと、阪神淡路大震災などの経験からもわかっていました

自分には何もできないと打ちのめされるのではないだろうか、阪神の時のトラウマが発動したらどうしよう
いろいろ悩みながらの道行でしたが、上にも書いたように私は今回の被災地である場所<東北>にあまりにも無知でした
はずかしいけど、地理も全然わからない
どんな場所なのか見たことなかった
スタートラインにもたててない

知らないままで、いいのか
よくない
こんなままじゃ、想像力も働かないし、発想が生まれません

勇気をだして行ってみたら知らなかったことを知ることができました
どんな状況にどんな心境の人がいるのか、うかがいしることができました
この業界にいて馬鹿みたいだけど、マスコミが報じていることがより具体的にわかるようになった


私にできることは、伝えること

ストイックに支援活動をしている人には、甘いと批判を受けるかもしれないけど
何かしたいけど迷っている
そんな人に届くといいと思って、見たこと感じたことを書きます


ひとまずつてのある福島に行き、宮城にかけての被災地に移動しました

持ち物は寝袋とビニール手袋、敷物、大きいゴミ袋、軍手、マスク、食器、非常食、あとは地図と着替えです
posted by ちびこ at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

スーパーひたちでいわきへ

110501_093814.jpgこれからいわきに移動します

写真は上野発のスーパーひたちです

車窓からは水の張った水田
瓦屋根が落ちた家が時々見られます
(水戸にかけて)
阪神淡路大震災のときの我が家周辺の光景と似ています


いわきでは横浜市のNさんの家にお世話になります
都市デザインとまちづくりの猛者と共に行くみちのくの旅になりそうです
メンバーを見ると、まるで横浜市の視察みたいですが、偶然です
posted by ちびこ at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月10日

仮り住まいの輪

100401_104410.jpg被災された方に一時的にでも
おちついて今後の暮らしのことを考える時間と空間を提供できるように
空間を提供してくれる人を募っています
住居の一部を間貸しでもいいし
空いているマンションがあればそれでもいいし、
どんな住居空間でも構いません

<仮り住まいの輪>は建築家や住宅関連のコンサルタントなどいわば住の専門家たちが、この事態に何かできることはないかと立ち上げた仕組みです
震災後すぐにアイディアが生まれ、私の知っている人が何人かみんな立場を超えて役立つ仕組みを作ろうと、その立ち上げに関わってきています。

この考え方が
被災された方の選択を広げる一つのスタイルになるといいなと思います
ぜひみてみてください
http://karizumai.jp/

放送したときのことを記事を書きました

http://www.nhk.or.jp/yokohama-blog/700/77592.html

大阪のわが家でも
もし希望して来てくれる方がいれば
古い一軒家ですが
使ってもらったらどうかと考えています

大阪ということで
被災地から離れてしまうのですが
地域ぐるみでバックアップをするつもりです
posted by ちびこ at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

震災関連 神奈川県の一時避難所

キャスターブログに、神奈川県内に設けられた一時避難所のことを書きました
きょうもこの避難所に行ってきました
今日の時点では入所者18人。
福島からの方が多いのでみなさん自宅に帰られるようです。中には公営住宅が決まったり仕事が決まったりしている方もいらっしゃいますが、小数です


http://www.nhk.or.jp/yokohama-blog/700/76577.html#more
posted by ちびこ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月18日

義援金受付が節電していてわかりにくいのでご案内

101203_135719.jpgNHK横浜放送局のキャスターエッセイ更新しました
http://www.nhk.or.jp/yokohama-blog/500/75403.html#more

できることからひとつづつ

阪神大震災を体験した関西人として
広島で被爆者の皆さんと語り、核についてがっつり考えた時期を経て
いま横浜でなにができるのか
毎日。考えています
自分の仕事が充分だとは思えないし、正直忸怩たる思いだけど、自分の職場のみんなの仕事を誇りに思っている。


あの時励まされた言葉を、わたしも呼び掛けたい
 「 東北に復興の光を 」
あの時の恩を返すときが来たんだっておもう
仕事内でも仕事外でも、なにかできることがあれば、やる準備はできています。
posted by ちびこ at 01:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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