船本由佳のブログです。
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2011年07月23日

5/3のバスの中にて。

5月3日のメモです
このとき、わたしは自分が思い上がっているんじゃないだろうかとばかり、考えては思い直し、何が正しいのかわからなくてとりあえず行動していました。
いまはそれでよかったと、振り返られるけど、そのときは、自分の中の正義がぐらついて、とてもしんどかった
下はその時の記録メモです
書いたのは当時なんだけどそのときは、こんなことをblogに書くこと自体不謹慎なんじゃないかと、思い悩んでいたんでした
+++++++


仙台のHさん宅から地下鉄で仙台駅へ

目的地は南側にくだり、岩沼を経て亘理(わたり)。ここからJRの代行バスに乗って新地に行きます
相馬行きのバスです
バスには20人くらい乗っています


連休中のボランティアは多いという報道が多いし、自分に何ができるかはわからないけど、必要かどうか、確かめるために行ってみます

おもえば、阪神大震災の時にはまだボランティアという概念が定着していなくて、どうすることが真のボランティアであり、何が役に立つということなのか、迷いに迷った時期だったと思う。
でも、あのとき、ボランティアが組織を作れば大きな力を生むということが証明され、復興に欠かせないものだとわかったんだ
それ以来、ボランティアセンターというものをつくって、ボランティアの采配をするというスタイルが出来上がった
今回もきっと迷いながらも拠点を作って采配している人がいるだろうとおもう。


ボランティアはニーズがあってこそなりたつと思うし、きょう、私がなにかの役に立てるかどうかはわからないけれど、声をかけられる場所まで近寄っていこう


+++++
110503_075406.jpg110503_074821.jpg110503_075331.jpg
写真は、仙台駅に設けられたボランティアステーションの様子。
たすけあいジャパンという団体が立ち上げたボランティアのための情報ステーションです。
大型連休で全国からやってくるだろうボランティアたちの情報面でのサポートをしようと設置されたものです。
仙台駅に設けられたもので、各地の被災地にボランティアを円滑に送り込むための活動です。
このみなさんも、一般の社会人の皆さんが考えた団体なんですよ。
正確には、考えるのは社会人が仕事が終わった夜に考えて、実動部隊は、昼間動ける学生、という感じの動き方をしていました。

このステーションには、現地までの交通手段・地図・現地ボランティアステーションの場所・そこでの主なニーズなどがまとめられていました。
交通手段が復活していないため、その時点での具体的なアクセス方法、所要時間、ネットで伝えきれない細かい事情などもわかるようになっています。
たとえば、、、運営側がまだ小規模で電話の問い合わせには答えられないステーションもある。仕事はたくさんないけど、ひとまず来てみて、現地で消費してほしいという要望などもある。

センターの前には、今日来たという女性が「気仙沼まで行く」と行っていた。
時刻は朝の8時だったけど、寝袋持参のボランティア猛者たちが、駅周辺をうろうろしていた。
女性の言っていた「気仙沼」のボランティアセンターは「はまセン」といって、現地までの公共交通手段がまだなく、これから行っても今晩到着するだろうという状態だった。
けれど、そんな場所ほど、人手が足りなく、目が届ききらなくて困っている人が多いのだ。
大型連休でボランティアの殺到を感じて自粛する人たちもいたかもしれないけど、そのときの情報の叫び声を拾うと「まだ100人は受け付けられます」「たくさん仕事あります」と悲痛なもの。
とにかく、長期戦ができるボランティアが活躍する場は山ほどあった


posted by ちびこ at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5/2 南三陸石巻


5月2日の時点でのメモです。

登米から仙台方向に南下する。

南三陸(海方面)に移動し石巻を通過した。

くねくねとしたのどかな山道、車窓に異様な影が映った。
DSC06610.JPG
船だった。

海から3キロの時点。

津波がここまでさかのぼってきたことを表す。
そこからは、右も左も、壊れたものが荒れ狂って置かれていた。
DSC06612.JPG途中、建築用と思われる木材が整然と置かれている。
海に近づくにつれ何もなくなっていく。
DSC06619.JPG防災庁舎だけが忽然と鉄骨むき出しの状態で立ちつくしていた。

DSC06626.JPG海に近づくにつれ海が迫ってきていた。
地盤が沈下しているのだ。
砂利が敷かれて、仮設の橋がつくられている。。
自衛隊の人たちの働きが目覚ましい

声も出せずに南三陸を通過。
少し山を上ると、惨状が感じられないのどかな山道がすぐに手に入る。

気を落ち着かせるために道の駅に入る。
もくもくランドと名前が付いている。
すごく海に近い感じがするから、少し違和感だったけど、もくもくのもくは、木(もく)のもくでした。
木工製品などが売られている、きれいな店舗。
なんだかここで金を落とさねばならないような義務感に駆られて平和なものをいくつか買う。
木でできたスプーンとか小皿とかそういうもの。

DSC06630.JPGDSC06633.JPG石巻の光景は、また南三陸とはちがう。
建築物がまったくなくなって、荒原となってしまっていた南三陸はたしかに光景だけみると強烈だった。が、石巻は商店街が残っている。天井まで水にしたっている。
そこには、人がいて片づけをしている。
言葉少なく。
生活品と人いる気配が生々しく、石巻はこれから何年かかるか分からない時の流れを感じて、とても重く思った。
posted by ちびこ at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月16日

マゴチ釣りに行きました

110710_085413.jpg110710_085007.jpg先週釣りに行きました


本牧沖に船で出かけました
釣りたいのはマゴチですが、めったに釣れません

風に吹かれて波に揺られて、ときどき濡れて、大きいクレーンもコンテナ船もみられたし、魚は釣れなかったけど、船旅は楽しかったです

日にやけて腕がまだらになりました、大変だ!


ぼうず(一匹もつれなかった)だったので船長さんがキスとイカをくれました

家で大騒ぎして捌いて食べました
おいしかったです
posted by ちびこ at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ふな・日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新・港村に入村予定です

110716_205558.jpg110716_205545.jpg来月6日から開村予定の新・港村

HAMArtが入村するので現在どんな活動をするか検討中


いま村民ファイルと回覧版案が有力です
開村するまでに100人ファイル、できるかな…

写真は、がり版です
港村のテーマは省エネなので、電気使わずに紙も最小限で、フリーペーパーが自治会になれるかな…実験
posted by ちびこ at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆最新横浜アート&オンガク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月20日

ヨコハマトリエンナーレPRキャラバン隊に横浜をPRするツアー

110320_145755.jpg先日のヨコハマトリエンナーレPRキャラバン隊のリサーチツアー
ツアーガイドをやりました
テーマはみえない境界線を見る
観光等で一般的に知られる横浜以外の横浜を知ってもらいたいと企画しました
参加したのはヨコハマトリエンナーレPRキャラバン隊キャラヴァンズのみなさん
これから各地でダンスでトリエンナーレをPRしていくみなさんです
わたしは縁あってガイドを頼まれました

横浜駅赤い靴の少女前集合
ポートサイド地区通行しみえない境界線を体感
横浜中央卸売市場見学・坪倉さんインタビュー
シーバスで山下公園へ
中華街は富延でランチ
りえこさんの話しを聞く
寿町福祉会館前を通過・公園見学
伊勢佐木モール福富町を経て都橋商店街を見る
日ノ出町の竜宮旅館美術館で開催中の展覧会を鑑賞
黄金町エリアマネジメントセンターで山野さんに話しをしてもらう
さらに平野さんにエリアを案内してもらう
ジャンリュックヘルムート作品のあるカフェスターをチラ見しつつ、きぃ房茶さんに店舗構造を見せてもらう
ここで45分ほど自由行動
聞き耳プロジェクト収録中のまこくら遠田部長とヨコトリ総合ディレクター逢坂さんとすれ違う
シネマジャック&べティを見てnitehiworksへ
パーティ準備中にもかかわらず中を無理いって見せてもらう
その佇まいと活動にぐっときたメンバーも多かったようだ
若葉町のタイ料理屋さんの前を通り吉田町で立ち並ぶBarをスルーしつつ都橋の二階を通過
野毛ちかみちを通って桜木町へ
一部解散
放課後メンバーのみで鰯と鯨の村田屋へ
藤澤さんから「ヨコハマトリエンナーレをぶっ飛ばす」意気込みを聞きつつイワシのから揚げとクジラの燻製はしっかりいただく
野毛Hanahanaへ
その後サンレモにいったら、グラフィティアーティストのロコサトシさんに遭遇
横浜市歌あらめや音頭を覚える決意をする(わたしは踊れます)
ジャズバーダウンビートとパパジョンにアタックしたのち、かすりにはフラれたため、いつものBARABAへ
超熱唱して(マネージャーが)ふらつきつつ解散
意義深い一日でした
協力してくれた皆さんありがとうございました

皆さんに元気をもらいました。横浜最高!
キャラヴァンズのみなさんには力いっぱいヨコハマトリエンナーレと横浜をPRしてもらいたいです
posted by ちびこ at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆最新横浜アート&オンガク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

5/2登米

110502_135857.jpg13時20分 登米 こめどころ 北上川を利用した水上交通、伊達家。昔の水沢県庁があったところ

初日に水族館に行こうとしたように、文化行政にかかわる立場の人がいたことから、被災地の文化施設が開いていたら、応援の気持ちを込めて入場しようと、決めていた
被災地の近隣の皆さんの利用と観光客の激減で、文化施設はきっと入場者数が落ち込んでいることだろう

そこに見かけたのが石ノ森章太郎記念館
正面に「平常通り開館しています」の大きな看板が出ている
この時勢に、そしてこの立地(被災エリアの内陸)だと、閉館していると思い込まれていたり、文化にいれあげるなんて不謹慎という風潮もあるかもしれない
そういう悩みの先に設置された巨大看板に思えた
(残念ながらこの日は定休日で入館できなかった)
これを契機に閉鎖に向かう施設もあるかもしれない
そんな事態を防ぐため、脳天気といわれようと、近隣の皆さんにかわってこうした施設の利用を心掛けたいと思う

そんな意欲でこの次に見つけたのが登米の遠山の里の尋常小学校跡を利用した教育資料館
現地の飲食店を利用しようということで、隣接の食事土産所で食事
とにかく東北で消費したい気持ちになっている
110502_133753.jpgはからずもここはBグルメあぶらふ丼の町ではないか
B級グルメに詳しくて良かった…
あぶらふ丼600円
はっと、という汁物が500円でした
ごちそうさまでした
posted by ちびこ at 00:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月11日

5/2 最大震度のまち 栗原

5月2日に最大震度のまち栗原を訪れたときのメモです

6時15分 いわき出発 磐越自動車道
7時15分 郡山 東北自動車道
8時 仙台
道は比較的スムーズ
ラジオでは生活情報が絶え間無く流れている
暴風警報が出ている

9時40分 宮城県栗原着
岩手との県境の町であり、今回の地震で最大震度を記録した町である
しかし津波の被害が甚大なため、報道で目にする機会は少ないといえる

ここで仲原さんのご友人宅をお見舞い
住んでいた家は潰れてはいないが、余震で崩れる心配があるため、数軒先の家に避難している
古い家屋が立ち並ぶ町並み
年季の入った商店や眼鏡屋、医院などの看板が見える
目立つのは家屋状態の貼紙
赤が危険 黄色が要注意 緑が調査済み
震災があって間もなく栗原市が迅速に家屋の調査を行っているようだ
請書提出・調査・罹災証明の発行などという役場的手順をすっとばした迅速な対応だったらしい
110502_093321.jpgこのあたりは、57軒中、
調査済み 15軒 26% 
要注意 12軒 21% 
危険 30軒 53%
地元の人いわくブルーシート通り・赤紙通りとよんでいるそうだ
瓦屋根のお宅が多いが、最近の瓦屋根は落下を防ぐため瓦と屋根の固定が強く、そう簡単に揺れても落ちないようにできている
それが不幸を呼び、屋根の重みで躯体ごと崩れてしまっている家も。
揺れで瓦が落ちるような昔ながらの屋根だと、重い瓦を振り払い、家本体は残っている

110502_120814.jpg110502_120539.jpg

ご友人呉地さんの家は昔の商家で敷地の奥に蔵が三軒ある
いずれも立派な石で出来たナマコ壁の重厚な蔵なのだけど、ひび割れ歪みができている
市が、8月末までであれば資材の処理を無料で行うとしていることから、なるべくはやく蔵も家屋もすべて壊してしまうつもりだという
それ以降になると自費で行わなければならない
復興にかける費用をなるべく抑えたい市民感情から、古きよき蔵のある町並みは、先を争うように取り壊されることになりそうだ
他地域の津波被害が甚大すぎて、目立たなくなってしまっているけど、震災被害で通りの風景がすっかり変わってしまう町が内陸にある



110502_120738.jpg110502_094603.jpg110502_122341.jpg
この時期(5/2)被災地で写真を撮るのが心苦しく、なんだか花とか緑ばかりとっていた
勝手かもしれないけど、春が来たことに希望を見たかったし、喜びで心を癒したかった
破壊されているもの、被害が甚大な光景ほど、かつてそこにあった暮らしや日常を思い浮かべたいのに思い浮かべることすらできなくて、カメラを握るんだけど、撮影できない
今はものに見えるけど、これはかつてはだれかの大切なものなんだって、阪神大震災の時にも思い知っていた
瓦礫という言葉は使わない
瓦礫なんてないんだ、そこにあるのは、もともとは誰かの持ち物なんです
目の前にあるのは壊れかけた空き家に見えるけど、空き家じゃない。誰かの家なんです
自分が脳天気な馬鹿者に思えるし、やみくもに自分を無礼だと思った
でもここでこうやって伝えることを心に決めていたんだから、しっかり伝わる写真を撮るべきだった
あのときのことはあのときしか記録できないんだ

でもこのときはそんな心境にはなれなかった
posted by ちびこ at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5/1 いわきのメモ

船を海底からひきあげている

小名浜
工場地帯の塀が長く倒れている
道路が波打っている
信号機は消えている
車が壊れておいてある
旅館から電化製品が全部だされている
たくさんのテレビ。電子レンジ。
小名浜トンネルを境に津波被害の有無が分かれる
大量の水浸しになった家財道具が外にだされている

永崎地区
一階がすっかり空っぽになっている
中の作
船が転覆している
「こわしてください」「こわさないで」の貼紙が家屋に貼ってある
豊間地区すべて波で流されている
posted by ちびこ at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5/1 いわき小名浜

110501_141949.jpg110501_143843.jpg5月1日にいわきに行ったときの記録です

9時に上野発の電車に乗っていわきへ
乗り換えなしで到着
アーバンデサイナーの国吉さんと桂さん
みんなで仲原さんのいわきの家にお世話になる予定。
全員横浜市のまちづくりにかかわるみなさん。

いわき駅でハシケンさんと会って話しました
よそ者には想像が及ばない様々なものの考えがあるんだろう
子供のいる家庭は特にナーバスになる

小名浜のまちは人が少ない
ときおりピンクのジャンパーの団体を見かけるくらい
おそらくボランティアのみなさんで、道路の溝などを掃除している様子だった
アクアマリンふくしまという水族館の近くまで行ってみた。水族館には近づけない

小名浜から北上する
海沿いの道の駅は営業していないが人がたくさん集まっていた
炊き出しをしているのと音楽のイベントをしていたようだ
さらにこの日は花火をあげるという
なにか景気づけにやって無理矢理にでも元気をだしたいという思いが伝わって来る

110501_155150.jpgこいのぼりが泳ぐ視線の向こうに民家
一階は骨組みを残してすべて持って行かれている
家の中のものを片付けて集積している場所もある
アスファルトが剥がれ運ばれて折り重なっている
どういう力が働いたんだろう


この日の時点で公共交通機関はJR四倉まで。
そこから一駅原発に近い久之浜駅付近まで行ってみると、この日一番辛い光景が広がっていた
110501_160551.jpg津波で家が押し流され一面見渡せるほどになっている
通行する場所を道としてものを寄せているのでひとまず道と思われるところを歩いてみる
家のあとに水の入ったコップ

海岸沿いには船が折り重なるように大量に陸にあがっている

110501_161651.jpg久之浜駅を挟んで山側は被害が見た目少ないように見える
被害の差の境界線が、等高線に沿って明確化している

じわじわ福島のことをかんがえている

仲原さんのお宅はいわきで原発から30キロくらい
いつか畑をやってのんびりくらそうと準備していた家
実際に月に二回ほど横浜から来て作物を育てている

仲原さんの家で見たテレビはL字スーパーが二重に出ている
福島では普通の光景
計測された放射能の値がまちごとにテロップで発表される
仲原さんいわくいわきより原発から遠い郡山や福島の方が値が大きい日が多いそうだ
シーベルトの違いで、ほかに地域と比べて安心したり心配したりする日々を「異常だ」といって笑っていた


偶然横浜ゆかりの人で被害家屋の審査のためにいわき入りしている二人がいることがわかり、夜、仲原家で合流することになった
ホテル住いで毎日仕事にあたっているが、当たり前だけどあたりには夜やっている店もないし、息抜きのしにくい環境なんだ。
二人は家屋に全損・半損・一部損の判定を行う仕事でいわき入りしている

地面から1.9メートルのところまで海水が来ているかどうか、など、決められた基準をもとに判断して行くそうだけど、持ち主立ち合いとのことなので、心苦しい場面もあるだろう

「まだ住みたい」「壊したくない」「どうせ壊すのだから全壊と判定してほしい」とか、いろんな思惑があるとおもう
こういう判定は地元の人じゃなくて、地元外の人がある程度ドライに判断してくれたほうがのちの交遊関係に禍根を残さないのでいいと、聞きます
なんにせよハードな仕事
頑張ってほしい

ここで薪で焚いたお風呂、それにいわきのタケノコといわきの山菜をいただきました
posted by ちびこ at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月14日

ドリルの使い方などを教わっています

110514_163602.jpgBankART スクール土曜日

電動ドリルの使い方を教わっています

建築の講習です

大工仕事ができるようになりたいです
posted by ちびこ at 17:43| Comment(1) | TrackBack(0) | ふな・日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

阪神の時のこと

110502_120738.jpgこんなことでクヨクヨしちゃいけないけど、震災発生すぐは、阪神の経験が伝わっていないことを思い知って、打ちのめされていた
伝える稼業に従事して13年。
「あの時のことを忘れるな」って広島でも関西でもテーマは違えど言い続けてきていて、言い続けることのできるこの仕事にやりがいを感じていた
でも、思ったほど、伝わってないんだって。思い知った。
そんなんホントに仕方ないねん
広島や京都の友人の中には何もいわずに私の落胆を感じ取ってくれた人がいる

世の中には<経験した人しかわからないこと>だらけだ



阪神の時はボランティア元年といって、ボランティアの力が町の復興に不可欠だということが、初めて認識された時でありました
その時関西の大学生だった私は、その激動の渦を感じていました
ボランティアに行くという認識はなく、無事だった人が大変な状況の人を手伝いに行くというとても自然な感覚でした
自衛隊の運んだ支援物資をただひたすら体育館で仕分けをしてて、支援の気持ちの空回りってあるんだなって気がついたり、いまおもうととんでもないことのようだけど軽音部サークルに所属していたため、被災地で歌ったこともあります
被災した人達の心境が日を追うごとに変わっていくということや、思い詰めたらボランティアは続かないこととか、いまはひょっとしたら常識かもしれないけど、わたしはそのとき日々の暮らしの中で知りました

わたしがいまの仕事をやりたいと思ったきっかけは震災のときに情報の大切さを感じたということからです

だから
おこがましいことかもしれないけど、私は、いまこそ自分が役に立つときだと、感じています。
ほんとは飛んでいって役に立ちたいくらい

<経験した人しかわからない>かもしれないけど、わかろうとしている人たちのわかりたいという思いは、努力と想像力でいろんなものを乗り越えていけると信じています

こんだけ大変で悲惨で貴重な体験をしたんだから、この経験を無駄にしたくない、この経験をどうか他の人の平和な暮らしのために生かして欲しい、そう、震災にあった神戸の人達も原爆にあった広島の人達も、みんな思ったし、いまだって思いつづけている
それは、尊い、人を思いやる気持ちから生まれる発想です

その気持ちを無駄にしたくない
伝えたいです
東北のことだってそうです
語り継ぐことのできる自分でいたい

みんなのおもいやりと想像力の原動力になるのは、こうやって伝えることだと思っています


(写真は最大震度の内陸のまち栗原で見たつくしです)
posted by ちびこ at 10:37| Comment(3) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月07日

5/1福島県いわき

110501_141803.jpgこれは被災地に入って撮った一枚目の写真です
場所はいわき
小名浜にある水族館を海方向に向かって撮ったものです

私は元々関西人です
被災地にはつてがありません
いまの時点では、つてがないと被災地で役に立たないと、阪神淡路大震災などの経験からもわかっていました

自分には何もできないと打ちのめされるのではないだろうか、阪神の時のトラウマが発動したらどうしよう
いろいろ悩みながらの道行でしたが、上にも書いたように私は今回の被災地である場所<東北>にあまりにも無知でした
はずかしいけど、地理も全然わからない
どんな場所なのか見たことなかった
スタートラインにもたててない

知らないままで、いいのか
よくない
こんなままじゃ、想像力も働かないし、発想が生まれません

勇気をだして行ってみたら知らなかったことを知ることができました
どんな状況にどんな心境の人がいるのか、うかがいしることができました
この業界にいて馬鹿みたいだけど、マスコミが報じていることがより具体的にわかるようになった


私にできることは、伝えること

ストイックに支援活動をしている人には、甘いと批判を受けるかもしれないけど
何かしたいけど迷っている
そんな人に届くといいと思って、見たこと感じたことを書きます


ひとまずつてのある福島に行き、宮城にかけての被災地に移動しました

持ち物は寝袋とビニール手袋、敷物、大きいゴミ袋、軍手、マスク、食器、非常食、あとは地図と着替えです
posted by ちびこ at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダンスボードと再会

110429_160355.jpg110429_173044.jpg尾道に行ってダンスボードと再会しました

足で踏んで音をだす不思議な楽器
尾道のお茶のお店の蔵から出てきて、番組で謎の解明に取り組んだところ、四国のあるお家で足で演奏する琴として個人的に発明されたものだとわかりました
これがなぜ尾道にあるのかは謎です

発見されたときは壊れていてほとんど音が出なかったんですが、番組を見た三原の楽器屋さんが「直してあげる」と連絡をしてきてくれて、見事音色が復活。
私がデモンストレーション演奏をする演奏会までしてしまったのでした。

ほんとに人と人のつながりが愛おしくなるような、出来事の連続でした。


久しぶりに訪れた尾道ではあの名物だったクレーンが撤去されていてとても寂しい気がしました
カラフルな照明があてられていたあれ。

いまは一基だけ残っています
一時期は暮らしてるのかと問われるくらい通いました
尾道は素敵な暮らし方をしている人が多くてとてもいい町です

2011年05月01日

スーパーひたちでいわきへ

110501_093814.jpgこれからいわきに移動します

写真は上野発のスーパーひたちです

車窓からは水の張った水田
瓦屋根が落ちた家が時々見られます
(水戸にかけて)
阪神淡路大震災のときの我が家周辺の光景と似ています


いわきでは横浜市のNさんの家にお世話になります
都市デザインとまちづくりの猛者と共に行くみちのくの旅になりそうです
メンバーを見ると、まるで横浜市の視察みたいですが、偶然です
posted by ちびこ at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

尾道からとものうらへ

110430_161825.jpg尾道からとものうらまで、一日に三本船が出ている
見所満載でとても素敵な航路
大きな船の入ったドックも見られます

有名観光地を二つ結ぶという意味ではとても有効なのではないかと思う
1500円でした

久しぶりのともは、前より少しオシャレな店が増えていた。
西日本の旅で旅したり、お元気中継で龍馬ゆかりの古民家を紹介した頃が懐かしい

以前より龍馬関連とポニョ関連の店やグッズが多くなったように思う

とものうらというと有名なのが架橋問題
海の真ん中に景観を損なう橋をかけ交通量と駐車場を確保するのか、このままの状態を保つのか。
客観的に見ると「そこに橋かけちゃダメでしょ」と思うんだけど、住んでる人達にとっては、下水の問題や交通量・防災の問題など深刻なんだろう
生活優先の大きな看板と架橋推進派の渡し船の係のおじさんの存在が印象深かった。
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